遠友夜学校に思いを馳せる
遠友夜学校に思いを馳せる
――明治時代となり、北海道には開拓の目的で、様々な男性たちが渡ってきた。例えば、旧士族は「屯田兵」という形で北海道に入植した。開拓使兼警察官のような任務であった。その当時、すすき野原であったその場所を黒板塀で囲い、そういう男性らを憩わせる「遊郭」とした。それが、歓楽街「すすきの」の起こりである。昭和30年代に入り、高度経済成長期という時代も追い風となって、このすすきのは、一般の住宅街に変貌しようとしていた。それが、1972年(昭和47年)の札幌オリンピック以降、観光客も増え、すすきのは、再び、歓楽街へと大成長を遂げていく。現在、縦横500m四方には、日本一の密度で飲食店が立ち並ぶという。ただし、日本一というのは、当事者らの推定である。その東端は、札幌市中央区の豊平川河畔あたりに達する。このあたりは、かつては、貧しい地域であった。現在の豊平橋を渡った対岸の札幌市豊平区水車町には7,8基の水車があり、札幌市内の米の精米、小麦粉の製粉の、すべての需要を賄っていた。明治初年から中頃にかけてのことである。そういう地域に、遠友夜学校の木造校舎は建っていた。逆境で、勉強したくてもできない人々が、胸をワクワクさせながら、雪道を学校へ急いだその姿が瞼に映るようである。学校は、時代の転換期である、終戦直前の昭和19年まで、その役目を全うした。明治時代からの50年間の歴史に幕を閉じたのである。
2023.07.26
正倉 一文
◆画像は、平成遠友夜学校の学び舎で北大構内に建つ「遠友学舎」。Wikipediaより。新渡戸稲造夫妻が創設した遠友夜学校の精神を受け継いで2005年に開校した。元北海道大学副学長の藤田正一(北大獣医学部名誉教授)が、開校から現在まで校長を務めている。
※平成遠友夜学校 ‐ Wikipedia
※遠友学舎 ‐ Wikipedia
※藤田正一 ‐ Wikipedia
※遠友夜学校‐ Wikipedia
かつての、遠友夜学校。木造校舎であった――
場所は、札幌市中央区の豊平川の河畔
1. 旧遠友夜学校
土地付きの戸建てを購入し校舎とする。
2. 新遠友夜学校
同じ敷地に資材を集めて建築した。
3. 遠友夜学校校章
4. 新渡戸稲造、メアリー夫妻
遠友夜学校の創設者。
新渡戸稲造夫妻。左は、米国で結婚したメアリ―夫人。写真は、Wikipediaより。
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